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東北関東大地震 3

2011年03月28日

ワシがガキの頃はラジオの時代であった。
親、叔父叔母たちは広沢虎造の浪曲や三橋美智也、春日八郎の唄に耳を傾け、
時には「尋ね人の時間」というのもあった。
戦後、外地から引き上げてきた人々の消息連絡手段であった。

当時、「お別れ公衆電話」という松山恵子の唄が流行った。
昭和を代表する名曲であったと思う。
秋田、青森方面から東京まで汽車で20時間近くかかり、自宅に電話のある家などは
ほとんどなく、手紙の往復に1週間以上もかかった昭和30年頃の話である。
感覚的には東京と秋田、青森は現在のアマゾンと東京以上に遠かったのである。

以上はメール世代には無縁の話である。
しかし、ついさっきまで会っていて、別れて30分も立たないのに帰宅途中の電車のなかで
再三再四ケイタイメールをやり取りする心情はアマゾン在住のジジィには理解出来ない。
彼ら彼女らは常に誰かと繋がっていないと不安であると云っているが、ケイタイ依存症と
いう病気、否、はっきり云って、ケイタイ中毒である。
陰でにんまりしているITマフィアの顔が見え隠れする。

NHKのテレビで見ている限りにおいては、中越地震の時はグチや泣き言も聞かれたが、
今回は各所でドラム缶でたき火をガンガン焚いており、不満やグチは聞かれない。
生きる術はメールではなく、身も心も暖めるたき火の技術はではないだろうか?

そう云えば、焚き火の側でタキビ奉行をしている人々は昭和30年頃の若者である。

                     2011年3月27日  はしもと記
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